生活

五感を磨く効率的な方法【五感のひとつを使わない生活をする】

five senses
ごんざぶろう

五感を磨く簡単でいい方法はないかな?

こんな疑問にお答えしていきます。

日常生活の中で実践でき、効果がある方法を解説していきます。

これが研ぎ澄まされるほど、いわゆる「動物的カン」というものが発達していきます。

自分の身は自分で守らなければならない時代、危機管理能力アップが期待できますよ。

五感のひとつを使わない

ということで、五感を磨く効率的な方法は、「五感のひとつを使わない」です。

そうする理由は3つあります。

3つの理由

  • 感覚に負荷をかける
  • 他の感覚でおぎなう
  • すべての感覚のアップ

感覚に負荷をかける

例えば、五感のうちのひとつ、「視覚」をないものとして自分で設定し、生活してみます。

具体的には、目隠しになるものやアイマスクなどで目を使えない状態にします。

生活といっても、これを街中でいきなりやる!とかいうのは危ないのでやめましょう。

おうちの中で充分ですので、危険が大きすぎない程度で実践してみましょう。

「目が使えない」というハンデを理解した上で実行しているので、どなたでも取る方法はひとつだと思います。

そう、視覚以外の4つの感覚(聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に頼っていくしかないはずです。

すると、自然と目以外の感覚をフル活用することになるでしょう。

つまり、視覚を使えなくすることで他の4つの感覚に人工的に負荷をかけていき、結果的にその4つの感覚をアップさせる。

五感5つに均等に20%ずつ割り振っていた比重を、他の4つに25%ずつで割り振りなおすといったイメージ。

分かりやすい実践例で言えば、あなたが大好きな銘柄を含むいくつかのカップめんを作って用意します。

ここで、この中から自分が好きなカップめんを探すチャレンジをしてみるのです。

目を使わずに大好きなカップ麺を探し当てる。あなたならどうするでしょうか。

ポイント

  • 音で判断
  • 香りで判断
  • 味で判断
  • 触感で判断

・・・こんな感じでしょうか?

つまり、例えばスープっぽい液体の音がしないからトロみがついてるな、とか。

スープの香りがミソっぽいとか、ノンフライっぽいとか。

味が塩ベースでユズも利いてるとか、タマゴめんっぽいとか。

容器の形状や材質、食べためんのかたさとか。

見た目で判断できないからこそ、それ以外の感覚を総動員して探り当てにいくはずです。

他の感覚でおぎなう

ニュアンスは前項と似ていますが、こちらは「足りない部分をカバーする」といった感じです。

通常と比べて「見る」という感覚がない状態。

5つある感覚のうちの4つしかなく、足りていない状態です。

すべてそろった5つという条件は作れないので、他の部分でカバーするしかありません。

サッカー漫画「キャプテン翼」でありましたが、プレーヤーがひとり足りない10人という状態でも、ひとりひとりがいつもの1.1倍ずつ頑張ればカバーできるという発想です。

「視覚は使えない」。つまり「カップめんの容器に表記してある文字や色は分からない」。

「じゃあ、目で見る代わりにどう確認しようか?」となり、「他の情報から探っていこう」と考える。

音を聞き、香りをかぎ、風味を味わい、触れて感じる。

まるで推理しながら事件を解決しようとする刑事のようでもあります。

また、五感すべてを使える状態では、人は無意識にすべての感覚に頼ろうとします。

ひとつの感覚が使えないという状況をあえて作ることで、他の4つの感覚を研ぎ澄まさないといけなくさせる。

すると他の4つの感覚が増幅し、再び五感を使ったときに総合的な五感の感覚は鋭くなります。

漫画「聖闘士星矢(セイントセイヤ)」に登場するシャカは、常に目を閉じておくことで他の感覚を研ぎ澄ませ、目を開いたときの全開パワーの最大値を上げるということをしていました。

イメージとしてはそれとまったく同じです。

すべての感覚アップ

ひとつの感覚をさえぎることで感覚に負荷をかけ、また他の感覚で足りない感覚をおぎなうことを続ける。

これによってすべての感覚の底上げができ、結果的には五感全体の最大値を上げることができます。

先ほどの例では「視覚」をさえぎりましたが、次は「聴覚」、次は「嗅覚」と、ローテーションで回していく。

すると五感がまんべんなく磨かれていき、ひとつひとつの感覚も、五感全体もパワーアップすることができるのです。

もちろん、慣れてきたら使わない感覚を2つ、3つと増やしてもいいですね。

ここまでのお話で「実行するのはなんだかんだで結構難しいことじゃないですか?」と思った人もいるでしょう。

ということで、短いですが、ここで偉人のお話をしたいと思います。

教育家のヘレン・ケラーは、幼いときの病気によって「見えない」「聞けない」という重複障害に加え、「話せない」という、日常生活を送ることも難しいときがありました。

私からすれば恐怖でしかありません。

ですが、私たちは本当に見えないわけじゃない。本当に聞けないわけじゃない。

実行することが難しいような、できないトレーニングではないと思っています。

目以外が目になる

ここで、私が実際に遭遇した「目以外の感覚が目になっている」という驚いた体験をお話しします。

仕事帰り、いつもの駅を降りてバス停でバスを待っていたときの話。

私の真後ろに向かって、色つきのメガネをかけた60代くらいの男性が近づいてきました。

その人は手に持った白杖を頼りに、ガードレールづたいにゆっくり近づいてきます。

白杖や状況からして、目の不自由な人です。盲導犬はいませんでした。

ガードレールづたいに歩いてくれば私がいるので、「足を白杖でつつかれるかな?」くらいに思っていました。

すると。

私の直前で歩くのがピタッととまりました。

目が見えているかのごとく、私の後ろに適度な距離を置いて。

正直、おどろきました。

私は他の人と話していたわけじゃない。音楽を聴いていたわけでもない。

その場から動くことなく、じっと待っていただけです。

(どうして?どうして分かった?目が不自由な状態で。)

そのときはそう思いましたが、よくよく考えてみれば。

音とは、声や音楽だけじゃない。

雑踏や車の音が、なにかの遮蔽物ごしに聞こえているのなら、「その間には、なにかがある」

そう、雑踏や車の音が「私」という遮蔽物ごしに聞こえていたのだとしたら、遮蔽物がないときの音とは違って聞こえる。

あるいは、聴覚を頼りにしていたのではなかったのかもしれない。

その男性が私に近づいてきたときに、私と男性との間に生まれるわずかな空気の流れ。

それを肌で感じ取ったのかもしれない。

いずれにしても、不自由である目以外の感覚が、目そのものになっていた。

いや、「見る」こと以上の情報を読み取っていたのかもしれない。

時間がかかってでも悩みながらでも、「感覚」を研ぎ澄ましていけば私たちも「五感以上の感覚」を習得することができるんだな。

そんなことを痛感した体験でした。

まとめ

人間が「限界だ」と思うところは限界のまだまだ手前だ、なんていう話をよく耳にします。

人は自分の限界を勝手に作ってしまうところがありますが。

そもそも限界は自分で決めるものですらないのかもしれません。

それこそ、先ほどの男性の話のように、日常で当たり前のようにこなしていくくらい生活に溶け込むレベルであるのなら、伸びるのも速い。

自分の生活が豊かになることは間違いないわけですから、少しずつチャレンジしてみてくださいね。

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