考察

eスポーツはただのゲームかもだけど、ビジネスへの昇華は喜ばしい

e-sports
ごんざぶろう

最近eスポーツが人気だけど、ぶっちゃけただのゲームでしょ?

大きく取り上げすぎなんじゃないの?

この疑問、ただYesかNoかで終えてしまうと元も子もありませんので、プラス要素でその裏にある深層心理まで掘り下げます。

今回の深層心理とは、「eスポーツになぜ批判的な意見が多いのか」です。

また、eスポーツがもたらした大きな意義にも触れていきますのでよろしくお願いします。

結論:ただのゲームです

「eスポーツはただのゲームでしょ?」

それに対する答えは「そうです」としか言いようがない。

味もそっけもない言い方をしてしまえば、プロ級のゲームの腕を持つメンバーやチームにスポンサーがつき、お金が発生するようになった。

つまり、今までであればいわゆるゲーム実況での「投げ銭」と呼ばれるものなどでしか得られなかった収入。

それが月の給料や優勝賞金として用意されたことで、ゲーマーが職業として実質的に認められた形。

しかし、プレーヤーがプレイするゲームは、選手たちのために特別に作られたものではなく、私たちも楽しんでいるような身近なもの。

eスポーツという名称に変わっても、中身はゲームをすることに他ならない。

ですから、 「eスポーツはただのゲームでしょ?」 に対しては「そうです」という答え。

たかがゲーム、されどゲーム

じゃあじゃあ、ただのゲームだろと言っている人たちは、果たしてこのゲーマーたちに勝つことができるのでしょうか。

・・・いいや、ムリですね。

みなさんもムリだと思いますよね?

ひとことにゲーマーと言っても、ただのゲーマーじゃない。

ただ一日中ゲームを楽しんでいるだけではないのは分かるはず。

自分に欠点があれば反省し、分析し、改善し、前進する。その繰り返し。

これって他のスポーツとまったく一緒なんですよ。

ひとつの共通する競技で競い合って、お互いにライバルとして腕を磨く。

うまく強くなるための努力は惜しまない。

野球もサッカーもそうじゃないですか。

ひとつことに集中して、その道を極める。

これってプロフェッショナルってやつです。

ただのゲーム。でもそれをプレイするプレーヤーはただのゲーマーではないのです。

私はね、一般的に見ればどんなに意味のないものだとしても、その道を極めた人というのは尊敬に値すると思っているんですよ。

だって、誰にもマネできないところまで極めているわけですから。

私も若いときはよくゲームをしていました。

じゃあ、その当時の私が同じeスポーツのフィールドで戦ってお金をもらえるか?といえばNOなんです。

当たり前です。

単なる趣味程度の好きの熱量や努力では届くわけがない。

その道を極めて、それでもまだ先を見て進む貪欲さがあるからこそ、第一線で戦える。

彼らは私のようにただゲームを楽しむ人ではない。

日本や世界レベルで屈指の実力を持つプロフェッショナルなのです。

批判的意見の3つの理由

こんなにも明確な事実であるにもかかわらず、eスポーツが批判的な意見にさらされやすい理由を3つ挙げるので、掘り下げてみましょう。

批判理由3つ

  • 娯楽が職業になっている
  • 役に立っている実感がない
  • 選手層が若い

娯楽が職業になっている

これは、いたって簡単なことなんです。

娯楽として長らく楽しまれてきたゲームというものが、給料の発生する職業として成立しているからです。

つまり、「こっちはやりたくもない仕事を汗水たらして頑張ることでカネを手に入れてるのに、自分の好きなゲームでカネを稼ぐなんて何様だ」と。

気持ちは何となく理解できます。

しかしこれ、とんでもない暴言だと思いますよ。

例えば、将棋や囲碁のプロのことを批判する人っていませんよね?

将棋も以後も「競技」。つまりスポーツにつながる精神を持っているもの。

ひとつの競技において、お互いが実力を高めあって最高の舞台で勝敗を競い合う。

そういった将棋や囲碁とeスポーツ、いったい何が違うというのでしょう?

ゲームは遊びだという認識なのでしょうか。

何度も言うように、遊びの域を出ないただの趣味程度のものであれば、私にだって可能です。

でも、遊んでるだけじゃ勝てませんよ。

努力せずに勝利するなんて、できませんよ。

結果を出すこともなく、ただ遊びの延長でゲームをしているのなら、初めのうちは笑っている周りの人もそっぽを向く。

スポンサーからは契約を打ち切られ、ファンからは罵倒を浴びせられ、文字どおり「ただのゲーム好き」に成り下がる。

考え方はまったく逆。

給料とは、自分がしている仕事の対価。

もらっている給料に見合う仕事をしなければいけない。

競技の世界での「仕事」とは、ザックリ言ってしまえば成績。

目に見える数字。

つまり、チームの勝利や個人成績。

ここはサッカーや野球といったスポーツとなんら変わらない。

いくらその競技の振興に貢献していようと、ファンを獲得しようとも、結果が伴わなければ生き残れない世界。

例えるなら、契約を取るために頑張る保険外交員や、利用者をできるだけ多くするために奮闘するタクシー運転手と同じ。

何度でも言いますが、eスポーツは「ただの遊び」では生き残れない世界。

トップクラスの実力があり、それを継続できなければ見放されてしまう、そんな世界なのです。

役に立っている実感がない

「ゲーマーは世の中の役に立っているのか?」

そんな声もわりと多いですよね。

結論。立ってますよ、そりゃ。

世の中の役に立たない仕事に対してお金を払う人なんていないでしょう。

そもそも世の中の役に立たない仕事などひとつもない。

誰にでも分かりやすい例なら理解はできるでしょう。

農家の作ってくれた食べ物を食べている。接客のサービスを受けている。

「存在意義」という意味合いで語るのであれば「プロスポーツ」に近いものがあるでしょう。

つまり、ファンとして応援しながらプロの競技や選手の活躍を楽しむ。

サッカーや野球など、チケットを買ってリアルタイムで観戦するなら、ビジネスも立派に成り立っている。

客として、娯楽のために(場合によってはお金を払って)楽しんでいる。

アミューズメントパークや好きなアーティストのライブなんかも同様です。

普段体験できないようなことを身近に感じて楽しむためにお金を払っている。

対象がプロであれば、なおさらではないでしょうか。

選手層が若い

まあ、これは「ねたみ」なんかにもあてはまりそうな感じがしますが・・・。

「あんな若い連中が、たかだかゲームで注目されて億単位の金を稼ぐなんてどういうことだ!」

・・・と心中穏やかではないのは、おそらく中高齢者の、キャリアアップを重ねてきた人たちでしょう。

「自分たちはまずいい大学を出て、いい会社に入って、年齢や実力ととともにキャリアアップして、長い年月をかけてやっとの思いでこの位置にいるのに」と。

気持ちは分かります。

私自身、いわゆる「年功序列」なんていう言葉をよく聞いていた世代ですので、理解できないものではありません。

しかし、です。

残酷な言い方をしてしまえば、「時代は変わりました」。

そもそも、私たちがいるこの日本という国は資本主義社会です。

どの人にも等しく給料が支払われる場所ではありません。

そんなことは年功序列やキャリアアップを経験してきた人なら分かることだと思います。

「なにかの違い」によって貧富の差ができるのが当たり前の社会です。

「年齢」や「役職」や「肩書き」によって貧富の差ができあがっていた時代。

現在はそれが「スキル」や「個性」になっただけです。

先ほどの例なら、ゲーマーとして必要な「スキル」。ゲームが大好きで、その一点に特化した「個性」。

今までの「役職」や「肩書き」は学歴や努力でどうにかなるものだったかもしれません。

しかし、「スキル」や「個性」は場合によっては努力ではどうにもならない場合がある。

なんのスキルを身に着けるのか?どんな個性が必要になるのか?

分からない人は置いてけぼりを食らう時代になりつつあります。

私自身も器用な人間ではないので、日々さまよいながら「ブロガー」をしていますが。

これからの時代は今まで以上に貧富の差ができやすい社会になっていくでしょう。

まとめ

トータルで言わせてもらえば、いろんな人がスポットを浴びやすい世界になっていくのかなという感じです。

これまでゲームで稼ぐといっても、ゲーム実況の投げ銭とかそんなレベルだったのが、決まった給料を受け取り、職業として成り立つ時代になった。

今話題のNFTアートなんかもそうじゃないですか。

私の好きな麻雀に関しても、給料が支払われ、職業として成り立つ「Mリーグ」というシステムができあがった。

ゲーム、アート、娯楽・・・。

今までなら、お金という対価にしづらかったものがビジネスとしてしっかりと構築され始めたことは、資本主義の幅を広げるきっかけになります。

ビジネスライクのいい部分を知り、日本もようやく欧州を追いかけ始めたというところでしょう。

-考察

© 2024 かむ的かむかむぶろぐ Powered by AFFINGER5