考察

優しさとはなに?定義づけが難しい最大の難問を考察してみます

2020-09-26

gentle

実際に恋愛などでも「優しい人が好き」という人はよくいますね。

でもこれ、聞くたびに毎回思うけど、「優しいの意味が人によって違うので、優しさがどういったものなのかを決めるのは難しいのでは」という人もいらっしゃるでしょう。

今回は私が全力でこの難問に敢えて挑んでみたいと思います。

優しいの意味の定義づけができればベスト、できなくても「こういう人が優しいと言われる人だ」というイメージを明文化できるように考察していきます。

みなさんも私と一緒に考えるような気持ちで寄りそっていただけるとありがたいです。

現行の「優しい」の意味

まずは辞書にて優しいの意味を知っておきたいと思います。おそらくここでは納得のいく答えはないと思いますが。

 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。

引用 goo辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/

あ・・・思ったよりもしっかりとした答えが載っていました。goo辞書、おそるべし。

もちろんここで終わりにはしません。「私の考察」ですから、私なりの答えはしっかりと出していきます。

いろいろな状況から見る「優しさ」

ここでいくつかの例を挙げてみて、それが優しさに該当するものかを考えていきます。

こんな状況があったら・・・

  • 雨が降っていたので傘を貸してあげた
  • 終電がなくなったので家に泊めてあげた
  • 持ち合わせがないというのでお金を出してあげた
  • 顔色が悪かったので「顔色悪いけど大丈夫?」と尋ねた
  • 倒れたお年寄りを遅刻ギリギリのタイミングでみかけ、助けた

雨が降っていたので傘を貸してあげた

まあ、私は優しさだと判断します。

標準的なありがちパターンですが、「いや俺は雨降ってても傘ささない」とかいう変わり者ではない限りは濡れたくないと考えると思うので、アリでしょう。

とはいっても助ける相手が知っている人なのかそうでないのかでも結構違ってきますね。

知っている人なら優しさですが、まったく知らない人に突然傘を貸す人を見たら私なら?マークが頭を駆け巡ります。

終電がなくなったので家に泊めてあげた

泊めてあげなかったらどこかに宿泊するか野宿なので、まあ、これも優しさかなと判断します。

ですがこの相手が女性で助けたのが男性となると、とたんに優しさかどうかが疑わしくなります。

下心があっての行動なのであれば、優しさ度外視の自分の欲望目的になりますからね。

持ち合わせがないというのでお金を出してあげた

お人よし感が強いですが、優しさと判断してもいいでしょう。

ごはん代を出してあげるくらいなら優しい・お人よしで済みますが、惜しげもなく10万をバン!と出したとなると、これは優しさを超えたなにか。そのふたりの関係性に目がいきますね。

ごはん代くらいであれば「今日は自分が出すから、次の機会にはおごってね」といって代金を払うのも優しさの範囲に入りますかね。

お金を出してもらったほうも後ろめたい気持ちになることもなく済みますから。

顔色が悪かったので「顔色悪いけど大丈夫?」と尋ねた

う~ん。どうなんですかね、これ。

顔色が悪いんだから調子は悪いんでしょうが、明らかに分かるレベルで顔色が悪いときに指摘しますかね?

聞くまでもなく大丈夫じゃない感じですよね。優しさ認定はできないかなあ。

同じ聞くなら「ちょっと休む?」とか言ってあげるのがいいような気がしますね。

顔色が悪いことには気づいたよ、でも声はかけない、知らないフリをする、なんていうのも優しさですかね?

倒れたお年寄りを遅刻ギリギリのタイミングでみかけ、助けた

自分をとるか、他人をとるか、そんな場面ですが。

助けようとするその気持ちは優しさに通じるかもしれません。ですから基本は優しさと判断します。

加えて、自分のことだけ考えて足を止めずその場を素通りするのも優しさだと思います。

「私はあなたを助けられません!」と100%の意思表示をすることはその場にいる全員に「このあと別の方法をとる必要がある」という次の判断への切り替えを瞬時に促せるからです。

問題なのはむしろ自分も他人もとれない人。

こういう人は助けるのか助けないのかが誰にも分からないため、それだけ他の人の次の判断を遅らせます。

「優しさ」の絞り込み

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優しいの意味は人によって違う場合があり、優しさの種類も人によっては違う場合があるというのが分かりましたね。

ストレートに相手に手を差し伸べる優しさ、きっぱりとNOの意思表示をする優しさ、気づかないフリをしてあえて手を差し伸べない優しさ、軽いウソをついて相手に負担をかけない優しさ。

相手が知ってる人かどうか、その行為が標準から見て度を越えるものかどうかは関係なしで、とにかく極端に人のためという考え方は基本的には「優しさ」というよりも「奉仕」に近いものとしてもいいでしょうかね。

私の結論:「優しさ」とは「相手を思いやる気持ち」

以上のことから導き出した私の結論は、「優しさとは相手を思いやる気持ち」です。

相手の立場になったときにこの人は今こうだから、こういう心境だからこんなことを思っているんだろうなと推察し、その気持ちをくんで思いやる気持ちだと思います。

「気持ち」ですから明確に言動に表れてこない優しさもあります。

つらい思いをして泣いている友人のそばに、ただ一緒にいてあげること。

別れの日でも、いつもどおりに変わりなく送り出してあげること。

らしくなく自分を見失っている親友をしかりつけること。

困難に直面して必死になっている姿をそっと見守っていてあげること。

立っているのもやっとの状態でも闘志を失わずになお全力で向かってくる相手に全力で応えること。

話しかけることに戸惑っている相手に自分から話しかけてあげること。

これらすべて優しさだと思います。

やわらかく接するから優しいわけでも、厳しく接するから優しくないわけでもない。

相手の気持ちにしっかりと寄りそっている言動なら、それはすべて優しさです。

まとめ

まあ、なんとか形にはなったかなという感じでしょうか。

ここまで私の気持ちに寄りそって一緒に読み進めてくれた人はみんな、本当の意味での「優しさ」をもった人です。

相手の気持ちに、そして自分の気持ちに常に寄りそえる人は、相手の弱さや自分の弱さともしっかりと向き合える強い人です。

本当の優しさはその人自身の強さからなるものなのかもしれませんね。

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