社会生活をしていれば誰でもみな何かしらのルールに出くわし、それを守りながら生きています。
しかし誰もがみな一度はこんなことを思ったことがあるはずです。
「ぶっちゃけこのルール何のためにあんの?」
「なんでルールを守らないといけないの?」
「ルールルールって多すぎじゃね?」
「めんどくせ」
などなど。
そこで今回はこのルールというものがなぜ存在するのか?守らないとどうなるのか?
このあたりに焦点を合わせながら解説していこうと思います。
なぜルールという面倒なものがあるのかの意味をしっかりと知ることができ、ルールに対しての意識が変わり、生活の中のルールへの取り組む姿勢も変わってきますよ。
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ルールが存在する理由
まずはルールが存在する理由からですが、これがないと社会がうまく回らなくなるからです。
分かりやすいように極端な例を挙げます。
自動車を運転するときにもルールがあるのはみなさんご存じですよね?
日本では基本的に「左側を走る」「一般道路では制限速度は60キロまで」というルールがあります。
仮にこれが守られずに運転手の意志に任せた自由な運転というものがなされたらどうなるでしょうか?
「俺は右側走りたい」という運転手が右側を走れば、ルールを守って左側を走っている車と向き合うことになり正面衝突します。
「右と左の車線を横ぎって運転したい」という運転手が道路を横断して運転をすれば、左右からくる車と衝突します。
「私は100キロでスピード感を味わいたい」という運転手が100キロを出して運転すれば、それより遅い速度で走る他の車に衝突します。
「じゃあ最高速度を100キロにすればよくね?」という人がいたとしましょう。
一般道路は小さなカーブがたくさんあります。
100キロでは安全に曲がれません。
人も歩いたりしています。信号もあります。踏切があったりします。他に走っている車もあります。
100キロでは安全に止まれません。
つまり、
「上下線を互いに同じ側の車線で走ればぶつからない」「だから左車線を走行する」
「最高でも60キロで走行していれば周りの状況が移り変わっても安全に停止できる」「だから最高60キロ」
このように、定められたからにはルールには必ず意味があります。
そしてルールを定める基準はどこにあるのかといえば「そのルールによって社会がうまく回るか?」です。
ローカルルールや個人ルールは特徴が違う
前述した自動車を運転するときのルールというのは社会生活をする上で必要な公的なルールです。
例外なく誰でも守らなければなりません。
では、なぜ例外なく守らなければならないのか?
ひとりでもそれを守らない人がいればうまく社会が回らなくなるからです。
それは自動車の例で明らかですよね。
それに対して公的ではないけれども、人々がルールと呼ぶものがあります。
それがローカルルールです。一部のカテゴリ、一部の地域など、範囲の狭いところでのルールです。
私のパッと思い付きで申し訳ないのですが、例えばサークルや会社の歓迎会で一気飲みをさせるなどです。
ここで自動車運転と同じように考えてみましょう。
歓迎会での一気飲みがおこなわれない、もしくはできない人がいることでうまく社会が回らなくなるでしょうか。
んなこたないですね。
それがないと日本経済がとまります。人々の生活をおびやかします。そんなことは一切ない。
つまり同じルールでありながら、ローカルルールは公的なルールとは違って社会生活をする上で必要なものとはいいがたい。
もうひとつ、個人で決められたルールというのもありますが、こちらも個人が決めたことですから本人以外が従う必要はないですよね?
例えば私が「太ってしまうからメシは夜だけ食う!」というルールを決めているとしても他の人には何の関係もないです(笑)。
むしろこれが公的ルールでみんなが守らないといけないようになるほうが社会が回らなくなります(笑)。
ですから、これらみっつを同じくくりで考えてしまうと、「このルールは守るべき」「こんなルールは守る必要ない」という差異が出てきます。
そうなると、「アレ?結局ルールって何?何を基準にすればいいか分からない」という無限ループにおちいってしまう危険があるのです。
どのくくりのルールなのかが大事
このように、ルールと呼ばれるものには大きく分けるなら「公的ルール」「ローカルルール」「個人ルール」が存在します。
「公的ルール」は社会全体に大きな影響を及ぼすので対象は全体です。
「ローカルルール」「個人ルール」は必ずしも社会全体に大きな影響を及ぼすものではないので、対象は全体ではありません。
そのルールが「公的」「ローカル」「個人」のどれに属するものなのかが分からない場合は逆に考えます。
つまりあるルールが存在したとき、そのルールの有無によって社会全体への影響が出るのかどうか、うまく回らなくなるのかどうか、そのあたりを軸にして考えるとハッキリしてきます。
そしてそれが公的ルールなら、ルールを守ることで社会に生じるプラスの効果は大きいし、ローカルや個人ならプラスの効果はあまりないと判断できるでしょう。
ルールの重要性の基準としてはこの「公的ルール」であるかどうかがカギになってきて、守らなかったときに社会全体への影響が大きいものほど大事ということになります。
ルールが多い=モラルに欠ける
「いちいちルールでしばりやがって!」などと主張したい人もいるかもしれません。
しかし自立心がある人ばかりであればルールなど定めなくても社会はうまく機能するのです。
ルールが多いということは、ルールがなければ守ることができない人が多いということ。
ルールが多ければ多いほどモラルに欠ける国であるという、あまり嬉しくない事実に結びついてしまいます。
ルールをこれ以上増やさないためには、私たちひとりひとりが自分でしっかり考えて行動できる、自立した生活を送れるようにならなければなりません。
つまり、自動車の例のように、「ルールだから守る」という考え方ではなく、「どういった理由があってルールになっているのか」という考え方にシフトする。
「与えられたものを受け止めるだけ」というのは、義務教育など、日本人がこれまで長年続けてきた慣例です。
「与えられたものに対して自分なりの考えを盛り込んで発信する」というのが、これからの私たちに求められるものなのかなと思います。
まとめ
ルールについて
- 【公的ルール】・・・社会全体への影響大→重要性大
- 【ローカルルール】【個人ルール】・・・社会への影響小→重要性小
- このみっつのルールを同じくくりで見てしまうと、社会への影響力も重要性も分からなくなる
- 社会への影響も重要性も大きく、社会全体で考えるべきルールは「公的ルール」
いかがでしょうか?今のあなたはルールへの概念が変わり、自分の中でスッキリとまとまったのではないかと思います。
みんなで頑張っていけば、「このルールもういらなくね?」というルールがなくなっていき、必要なルールだけが残ります。
そうすれば「ああしろ」「こうしろ」「これはダメ」「あれはダメ」とがんじがらめになるようなことも減っていく。
自分自身でしっかり判断・決断でき、モラルやマナーも考えて行動できる人を増やしていけば、今は邪魔と思えるルールも減っていくのです。
これからの生活にルールを上手に活用して、みんなで過ごしやすい環境を作っていきましょう。