おもしろいシナリオ(物語)って、そうでないものとなにが違うんだろう?
こんな疑問にお答えしていきます。
マンガ、映画、小説、ドラマ・・・シナリオ(物語)がからんでくる作品の種類はたくさんあります。
ですが、おもしろいシナリオに共通していることはたったひとつ。
解説しながら進めていきます。
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答え:登場人物設定
ということで、おもしろいシナリオに共通する点は、「登場人物設定」です。
「なんだ、そんなもん、どんな作品だって大切にしてることだろ」と思うかもしれません。
でも、きっとあなたが思っているよりももっと大切なことです。
人物設定で重要な項目3つ
人物設定で重要な項目
- 「個性」
- 「心の豊かさ」
- 「独り歩きする」
登場人物設定において、ここははずせないという項目を3点、挙げてみました。
注目点は「見た目ではない」ということ。
登場人物設定において、多くの場合大切にされるのが「見た目」です。
例えば、身長・体重・性別・キャラデザインなど。
「こいつは巨漢タイプ」「こいつはあざとい娘」「こいつは銀髪で目がキレ長」とかですね。
たしかにそれも大切な要素。
でも、それよりももっと大切でその作品が活きるか死ぬかにもかかわるくらいに重要なのは、見えない部分です。
私が挙げた重要項目はその「目に見えない部分」3つになっています。
それでは、理由も解説しながら進めていきますね。
「個性」
「個性」は言い換えれば「性格」と表現してもいいかもしれません。
重要なのは、この点を丁寧に作りこまないと、歴史に残るような面白い作品にはなりにくいことです。
例えば、主要登場人物が3人いて、それぞれ、「真面目」「破天荒」「天然」というカラーをつけたとします。
ありきたりな例ですが、実はこれはキャラクターを語る上でそこまで大切な部分ではありません。
大切なのは、この登場人物はこのような状況において、
「なにを考え、なにに共感し、なにに反抗し、なにを大事にし、なにに心を動かされ、なにによって動くのか」
そういった緻密な設定の作りこみです。
ここの作りこみが甘いとどうなるかというと、作品全体の世界観やシナリオ自体がボヤけてしまい、収拾がつかなくなるのです。
現実世界の人間を考えてみればすぐに分かると思います。
同じ状況で同じ内容の言動を取るにしても、人間は十人十色。生まれた環境も言動の方法も違うし、考え方の過程も違う。
だからこそひとりとしてかぶらない「個性的な人格」ができあがるんですよね。
中年の年齢にさしかかった私がいまだに興味を持ち続けている特撮のキャラもそう。
ひとりひとりの登場人物が自分の内側に抱える悩みや葛藤、育ってきた環境。
近年はここの作りが甘い作品が増えてきており、今までのように熱心に観ようという気持ちが薄れてきています。
甘めに設定してしまった人物設定のままで作品終盤を迎えても、もう修正はできないのです。
ひとりふたりの主要人物が非常に色濃く設定されているのに、その他の人物はあまり重要じゃないからと設定をサボってしまう。
すると、まるで本当のエキストラA・Bのような、いてもいなくてもいい存在に成り下がってしまうのです。
結果、作品の世界観は薄れ、シナリオ自体もイマイチよく分からないデキになってしまうでしょう。
「心の豊かさ」
前項「個性」でも申し上げたとおり、キャラ設定が甘いと、見た目も存在もペラペラの二次元キャラができあがってしまいます。
まるでひとりの人間が本当にそこにいるかのような存在感を出すには、人間と同じように「心の豊かさ」が設定されている必要があるのです。
「心の豊かさ」は言い換えれば「感受性」や「喜怒哀楽の心の動き」と表現できると思います。
無機質な人工生命体がたくさん出てくるようなSFチックな作品はまれでしょうから、とても大切な部分になってきます。
例えば、「ヘンに同情心にあふれる人」「クールをよそっているけど温かい人」「激情型人間」など。
人間くささがある点が多ければ多いほど、「心の豊かさ」は増してきます。
つまりこれはどういうことかと言うと、私たち人間がそういったシナリオに触れたとき、感情移入がしやすいということ。
そのキャラが私たちが持っている心の豊かさを持っていればいるほど、感動的な作品になるということです。
実は、「泣ける作品」の本質はここにあります。
自分が経験してきたもの、なにかで得た知識とが作品や登場人物とリンクするとき、「心の同調」が起きる。
このときの私たちの気持ちの高ぶりがそのまま「感動」という形になって表れます。
とはいえ、近年それは難しいことになりつつあります。
多様化により、元々心の豊かさを持っていない人というのが増えてきているのが現状。
本来「心の同調」が起きるべき場面でもスイッチが入らない人が増えつつあるからです。
ジェンダーや多様化を時代に合わせて受け止めることは、必ずしもいいことだとは限りません。
「独り歩きする」
人物設定が練りに練って作り上げられたキャラクターや世界観は、誰もなにもしなくても作り手の手元を離れ、独り歩きするようになります。
それだけ独創的でスケールの大きいものに仕上がったという証でもあります。
例えば、現在鳥山明作品のドラゴンボールは、他の人のシナリオの力によって新しく連載を始めることになりましたよね。
次のバトンを受け継ぐ人に「ドラゴンボールの世界観」がしっかり理解できていないとできないことだと思います。
おのおのの価値観でドラゴンボールの続きを描くのであれば、ただのパラレルワールドで終わってもおかしくはない。
そうならなかったのは、鳥山さんの世界観がしっかりしていたことや、新しいシナリオが鳥山ワールドに準じているものだから。
まあ、賛否はあるでしょうけど。
あるいは、過去になかったシナリオだとしても「孫悟空はこんなことしないよな」とか。
「こんなセリフは吐かないよ」とか。「きっとこういうふうにしてるだろうなあ」とか。
特別なにも考えなくても、その状況でその登場人物がどう動くのかが容易に予測できる。
そのくらいキャラが立っていることが「独り歩きする」ってことにつながるんですよね。
ジャンプ作品の良作
年代が古くて申し訳ないのですが、ジャンプの過去作品では「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」「シティーハンター」は良作です。
特に、登場人物の心理・感情の動きの描写が秀逸。
それこそ、登場人物のひとりひとりにいたるまで「心の中の」細部にこだわったキャラ設定がなされており、それによって世界観も引き立つ。
ですから、いまだに読み返しても自然と涙が出てくるシーンは多いです。
繰り返しになりますが、人間くささの細かいところまでを設定して落とし込み、キャラひとりひとりに唯一無二の個性を作り出したからこそ、それを読んだ私たちに響くものがあるのです。
人物設定をありきたりの深さにとどめていたのでは生まれない感動です。
だから、おもしろい。
だから感動を生むのですね。
まとめ
作品自体を出したタイミングや時代のニーズなど、からんでくる要素は他にもあるのでしょうが、とにかく。
登場人物の設定に時間をかけたからこそ、後世に残る名作を生み出せた。
逆に言えばそのキャラクターの顔がなかったとしても、人物設定がしっかりしてさえいれば誰が誰なのか一目瞭然。
その人を感じさせるクセ。香り。しぐさ。言葉。心の持ちよう。
見た目以上に目に見えない部分を緻密に設定することで名作が生まれるんですね。