2020年のM-1グランプリはマヂカルラブリーの優勝で幕を閉じました。
ですが、視聴者層の中で「あれは漫才か?漫才じゃないのか?」とか、「面白い、面白くない」といったところで意見が分かれていますね。
今回はこのマヂカルラブリーのネタが「漫才か漫才でないのか」、「面白いか面白くないか」について解説していきます。
加えて、なぜそのような論争が起きているのか?そのあたりまで深堀りしてお話していきたいと思います。
コンテンツ
漫才か漫才でないのか?
マヂカルラブリーのネタが漫才かどうかでいうと漫才でないと言えます。解説していきます。
漫才がどういう意味なのかハッキリ分かっている人は少ないと思いますので、ここで定義づけしておきます。
二人の芸人がこっけいなことを言い合って、客を笑わす寄席演芸。万歳が現代化したもので、大正初期に大阪で起こった。初め「万才」と書き、のち形式も多種多様に発達。
goo国語辞典より https://dictionary.goo.ne.jp/
関西寄りで考えれば分かりますが、コンビの芸人が話の掛け合いで笑いを取る形。これがそもそもの「漫才」の意味であると言えそうです。
マヂカルラブリーはアクションもふんだんに盛り込んだりしており、純粋な「話だけ」でのお笑いではありません。
であるならば「漫才かどうか」だけでいえば「漫才ではない」と言うのが適切でしょう。
面白いか面白くないか?
マヂカルラブリーのネタが面白いか面白くないかですが、面白いです。解説していきます。
なぜそう言い切れるかの理由を挙げていきます。
ひとつめに、M-1グランプリは年々出場組数が伸びてきており、初回の1603組に比べ、今回は5081組と3倍強の数字になっています。
予選選出方法も変わってきていて、決勝に残ること自体が非常に難しい。
つまり、そのときそのときの運や勢いだけ、その場しのぎの策では、決勝ファイナリストになることすらできない状況になっているということ。
決勝ファイナリストに残っているということはすなわち、数々のふるいを見事にかいくぐって勝ち抜いてきた実力と、運や勢いの両方を持っていることの証明です。
決勝戦に進出した芸人のネタはすべて拝見しましたが、マヂカルラブリーに限らずすべて例外なく面白いです。
続いて、好みの問題。
決勝ファイナリストのみなさんは自分たちにしかない特色を持ったクセのあるツワモノばかりです。
ゆえにその芸人のネタで笑えるかどうかは好みの問題だと思います。
ですが「面白い」というのは、その芸人が面白いと思って作ったポイントを私たちが理解できるかどうかで判断される部分。
自分にハマるかどうか(笑えるかどうか)は好みの問題ですが、面白いかどうかは好みとは関係ないこと。
つまり自分にハマらなくても(笑えなくても)、ネタの流れの中のポイントを視聴者が理解できているなら「面白い」と表現できます。
このように、自分がその芸人が好きかどうかというのと、面白いかどうかを混同するとややこしいことになります。
もう一度言います。自分の好みとその芸人が面白いかどうかは必ずしもイコールではありません。
今回の論争はなぜ起きているのか?
次に、マヂカルラブリーに関する今回の論争が起きているのはなぜなのかを探ります。
カギになるのは日本人に古くから巣食っている気質です。主な3つの気質を列挙しますね。
3つの日本人気質
- 出るクイは「たたきのめす」
- なんでも枠内におさめたがる
- メディアで見る姿がすべてという先入観
出るクイは「たたきのめす」
マヂカルラブリーというコンビを見たとき、野田クリスタルさんの個性がイヤでも目に入ってくると思います。
いうなれば「野田クリスタルを受け入れられるかどうか」があっての「漫才かどうか」「面白いかどうか」の議論だと感じます。
例えば、列をなして歩みを進める集団の中で、ひとりスキップをする人がいれば
「ヘンな奴」「なぜ集団の輪を乱すのか」「あいつはダメだ」「勝手すぎる」「気に入らない」
と集中砲火を浴びせるのが日本人です。
常に足並みをそろえるのが当たり前だと思っている。それを乱すものがいれば無意識で嫌悪感をいだく。
単純に「面白い奴だ」「個性的で魅力がある」ととらえられればこんなしょーもない議論は起こるべくもない。
そしてぜんぶをゴッチャにしてしまって「こいつ嫌い」→「面白くない」などの批判をする方向に走る人、結構いると思います。
嫌いでいることは自由です。ですがネタが面白いかどうかはM-1の審査員のように先入観なしで判断する必要があります。
ひとつ、面白い例として挙げますが、YouTubeのM-1グランプリのコメント欄にこんなものがありました。
「野田は一言もしゃべらないし村上も多くは語らないのに、なにをしているのかが容易に理解できる情景描写力が高すぎる。」
これはマヂカルラブリーへの切り口としてはかなり斬新です。
というのも、単に「あんなものは漫才じゃない」で切り捨てていない。
それどころか、トークの比重を動きに移し替えて、自分の得意なフィールドを作り出していると解釈。
逆に言えばトークに頼らずに笑いをとりにいっている証明でもあります。
お笑いを観る側としても、先入観は捨て、常にやわらかい頭でとらえるという姿勢を教えられたような気持ちでした。
他にもトーク以外で魅せるコメディアンの記事があります。合わせてどうぞ。
→「いつ見ても面白いお笑い」はあるのか?【世代を選ばない笑い】
なんでも枠内におさめたがる
枠を作ってその中におさまるかどうかで判断するのは日本人の悪いクセです。
漫才かどうかという議論もぶっちゃけたところどうでもいいっていうのが私の本音です。
マヂカルラブリーのネタが漫才かどうかを判断するためにM-1を観ているのですか?
違うでしょう?
そのために裏番組の鬼滅の刃を蹴ってM-1観たわけじゃないでしょう。
笑って楽しみたいから観ているんでしょう?
出場している芸人のみなさんも私たちを笑わせたい、楽しませたいからネタを披露してるんでしょう。
こんな単純なやりとりの間にどうでもいいややこしい議論が出てしまうのは、お笑いを頭で考えて枠におさめようとして見すぎているからです。
別にテストの答案の採点してるわけじゃないんです。なにが正しいのか正しくないのかなんて考えでいたら一生笑える日はきません。
メディアで見る姿がすべてだという先入観
特にエンターテインメントに関係する仕事に就いている人は、プライベートと仕事中では違う一面を持っています。
トークを聞いているかぎりではプライベートでは非常に気が小さくておとなしい雰囲気と見受けられる。これが私の野田クリスタルさんへの印象です。
ところが多くの人はメディアの前やネタ披露での破天荒なイメージをそのままプライベートの本人と重ね合わせる場合が多い。
メディア越しに見る芸人は「作ったキャラなのかそうでないのか」。それすら推測しようともせずに思い込みで決めてしまう人の多さ。
例えば、初めのほうは嫌いな芸能人ランキングで上位だった江頭2:50さんや出川哲郎さんも、カメラが回っていないところでの様子が映し出されると世間の印象が一気に変わりました。
自分勝手な思い込みですべてが分かった気になって生まれた個人的な感情は、なにを判断するときにも障害にしかなりません。
面白くないと感じる理由が思い込みによるその人への嫌悪感からきている可能性も考えるべきです。
お笑いを楽しむのに余計な考えはいらない
ここまでのお話から、思い込みや先入観のない人ほど頭の中がフラットになり、純粋にお笑いを楽しめることが分かると思います。
古くからの日本人の気質がこれを邪魔をしているのだとすれば、あまり深く考えずにお笑いをとらえている人や若い人ほど、お笑いが「面白い」「楽しい」と感じられることが多いのかもしれません。
たまに鬼のような顔をしてお笑いを見ている人がいますが、にらめっこには必要な要素でも、お笑いを楽しむために必要な要素だとは思えません。
おそらくは「自分はちょっとやそっとのネタじゃ笑わないぜ」という主張なんでしょうが、
面白いもんは面白いし、面白くないもんは面白くない。頭カラッポのほうが夢つめこめるんです。
ちょっと話がそれましたが、そうやって思い込みや先入観なしで純粋にまっすぐにネタを見て、それでも面白くないならそれはそれで仕方がありません。
それは頭ごなしに面白くないと発言する人の何倍も力のある言葉です。
まとめ
基本的に日本人はひねくれ者気質ですので、なんにしても物をナナメに見たがります。
国民性として正面からまっすぐに見る素直さがあれば、今回のお話だけでなくいろいろな事柄に関してもっと幅の広い、それこそ世界的な視野でとらえられる姿勢が身につくのではと感じる今日この頃です。