現代では、いつのころからかお笑い芸人が世代別に分けられるようになってきています。
世代分けされているということは「世代によって支持層もウケるツボも違っている」と言い換えることができるかと思いますが、ここでちょっとした疑問が浮かびます。
時代や支持層に左右されず、いつ誰が見ても分かる面白い笑いはないのでしょうか。
そもそも「笑うこと」は「音楽」と同じように、私たちの生活に密接している身近なものであるはずです。
好みの違いはあるかもしれませんが、世代で分けたり支持層で分けたりするような難しいものではないでしょう。
今回は、ちょっと難しく考えすぎている感のある「お笑い」というものを少し簡単にとらえて見てみます。
そして最終的には本題である「いつだれが見ても面白い笑い」が存在するのかどうか、考察をまじえながら解説していきます。
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外国人が面白いと感じる日本のお笑い芸人
私の職業柄、一緒に働くメンバーの中に外国人がいる場合があります。
現在の職場でも20代後半、エジプト人の若い男性が共に働いていますが、ある日私に「日本のこのコメディアンが面白い」と携帯で動画を見せてきました。
「彼が面白いと感じる最近のお笑い芸人?誰だろう?」と興味を持ちながら携帯をのぞくと、そこには志村けんさんのコントが。
私はおどろきました。日常会話ができるくらいではあるものの、難しい日本語、量が多い日本語はまだあまり分からない彼が日本のコメディアンが面白いと言っている。
しかもそれが最近よく出てくるような若手芸人ではなく、知る機会もないであろう志村けんさんなのです。
いや、彼は研究熱心なので今年初めの訃報をきっかけに志村さんを知り、コメディアンだと分かったのかもしれませんが。
数多くいるお笑い芸人の中で志村さんのコントに目がとまったからにはなにか理由があるはず。
私は尋ねてみました。「おー、志村けんか。どのへんが面白かった?」
彼は言いました。「動きを見ていれば分かる」
最初私はその意味が分かりませんでした。ですが話を聞いているうちに理解できました。
「志村けんのコントはリアクションや表情をみていれば、そこでなにが起きているのかすぐに分かる」ということです。
そのコントは「志村さんがそば屋に立ち寄ってそばを食べるけれども、わんこそばの方式になっていて、フタを閉めないと食べ終わったことにならない。
ところが店員の優香さんがわずかなスキをついて次々とそばを入れていくので、志村さんがまいってしまう」というものでした。
そこで私はハッとしたんです。
「そうだ!トークで笑わせるのではなく、リアクションや表情で笑わせるのが志村さんだった。
そこにそば屋のセットなどの雰囲気もかさねて、その状況を見ただけでなにが起きているのか誰もが理解できる、そういうお笑いだった・・・。
リアクションと表情でほとんどすべてを表現しているから、セリフも少ない。日本語が分からずとも伝わるお笑い。
今回のそば屋のように、お笑いのネタも私たちのごく身近にある光景が多く、感情移入もしやすい。
ドリフの時代から見てきているのになんでそんなことに気づけなかったんだ!」
・・・と孤独のグルメ並みの勢いで心でさけんでいました。
お笑いの種類
志村さんをむりやりジャンル分けするとすれば「リアクション系」。つまり出川哲郎さんやダチョウ俱楽部の3人と同じジャンル。
思えば志村さんの番組にゲストとしてよく呼ばれていた芸人でもあります。
志村さんがストイックに求め続けてきたお笑いをひとことで表すなど私がするべきことではないですが。
時代は移り変わりまして。ダウンタウンのおふたりを筆頭に、関東圏そして全国へ活躍の場を広げてきたのが関西圏で主流だった「漫才」です。
コントとは呼んでいるものの、現在最前線で活躍する関東のお笑い芸人もこの漫才の流れをくんだものになっています。
つまり現在のお笑いの主流はリアクションではなく、漫才に見られる「トーク」の内容で笑いを取る形が多いのです。
この「リアクション」と「トーク」に慣れすぎた現代人は、それ以外のジャンルをお笑いとしてとらえにくくなる現象が起きています。
一番最近で言うとマヂカルラブリーのお笑いはこのどちらにも属しているとはいいがたく、タイプがトリッキーでもあるため受け入れられない層が出ているのです。
(しいて言えばアクション系でしょうか)
マヂカルラブリーについては、こんな記事もあります。
話を戻します。当たり前ですが、トーク系のお笑いはトークをちゃんと聞いていないと話の流れを把握することができません。
リアクション系のお笑いのように途中からパッと見始めても全体の流れが理解できないのです。
考える必要のないネタ
私がドリフ時代から現在の志村さんのネタまでずっと長い間好きでいられたのは、「考えることなく見た瞬間に笑えるから」です。
喜怒哀楽に富んだ表情やリアクションは見ているだけで笑えるし、さきほど申し上げたとおり表情やリアクションで状況がすぐに理解できます。
ダウンタウンのようなシュールなお笑いも大好きですが、シュールなお笑いは頭が回らないと見ていてすぐには理解できないし、それなりの労力も必要です。
笑うことで活力を得たい、イヤな気分を吹き飛ばしたい。そういった思いがある中、考えることでエネルギーを失ってしまっては逆効果ですよね?
シュールなお笑いは、ときに知識や経験もないと理解できないため、そういったところが浅い人や幼い子供にはそもそも伝わりづらいという側面もあります。
なによりも「笑う」ということは「楽しむ」ということで、お笑いがなにかの修行のようになってしまっては見ている人は離れていってしまう。
子供に分かりやすさで攻める
「カラスーなぜ鳴くのー?カラスの勝手でしょー」はドリフコントにおいて、童謡「七つの子」の歌詞をいじって志村さんが歌っていたものなんですが。
当時、その替え歌を大合唱をするくらい子供たちの間でブームになりました。
「なにが面白いの?」と感じる人がいると思います。はい、それで普通だと思います。
私も子供のころに面白がって歌っていましたが、いまだに理由や意味は分かりません。
でも大人になった私が分かったのは、人を笑わせるのが好きな志村さんが、考えることなく子供が分かる単純なもので笑わせようとしていたこと。
言ってみりゃ「ウン〇、ウン〇」と連呼して騒いで楽しんでいる子供の目線でネタを提供しているってことなんですよね。
仮に漫才が落語のようにトーク内容で笑わせる大人のたしなみだとするならば、子供には分からない。みんなに受け入れられるお笑いではないことになります。
志村さんは逆の方向から攻めた。それは、子供が分かるネタであれば大人にも分かる。つまりみんなに受け入れられるお笑いになると考えたからではないでしょうか。
分かりやすく考える間もないお笑い
とはいえ、カラスの勝手でしょの例は極端すぎますし、なによりもそのときとは時代が違います。
子供の数そのものが少なくなってきているし、大人のようなかしこさを持つ子供もいて、お笑いを発信するメディアもお笑い自体も多様化している。
昔に比べてなお一層「みんなに受け入れられるお笑い」は難しくなってきています。
ですが、子供と対するときに難しい言葉をはぶいて簡潔にまとめて話すように、誰に対してもその姿勢でいれば、誰に対しても同じように一番分かりやすく伝えられる。
現代のお笑いにも同じことが言えるのではないかと思います。
ヘンにこねくり回したり、奇をてらったりしないで、笑いを受け取るお客さんの気持ちになって考えれば、一番素直で分かりやすい形になる。
それって「いつだれが見ても面白い笑い」にもっとも近くなるのではないでしょうか。
お笑いは娯楽。エンターテインメントなので。もっと気楽に見られてもっと気楽に笑えるものを本物のお笑いと呼ぶのではないかなと思っています。
まとめ
外国人に面白いと言わしめ、内容も容易に理解できた志村さんのネタ作りのスタンスから学べることは非常に多いです。
それが古いのか新しいのかではなく、よいものは取り入れ、そうでないものは捨てる。
することもシンプルに。そんなスマートさが必要な時代なのかもしれません。