考察

差別について思うこと~日本の差別の原因と解決策はここにある~

2020-08-17

最近では海外での人種差別についての記憶が新しいかと思いますが、まずそもそも私たちが人種や宗教といった切り口から差別という問題に向き合うのは危険すぎます。なぜなら、日本には人種や宗教によって差別するような歴史も風習もないからです。

日本人が「あいつは肌の色が違うから」とか「この宗教を信仰しているから」という理由で差別をしているところを見たことがありますか?それが原因で紛争起きたりしてます?ないですよね?ですから海外の差別は根深い歴史や風習があってのものでまったく別のものと考えるべきなのです。

そんなわけで今回は日本の差別に特化し、その実情や本質的な問題に切り込んで原因を見つけ、今後どうしていくべきかの解決策までお話していきます。

日本の差別に関わる歴史や風習

先程「海外の差別は根深い歴史や風習があってのものなのでまったく別のものと考えるべき」と言いましたが、日本には日本人しか分からない根深い歴史や風習、海外でいうところの人種や宗教にあたるような部分があるはずです。まずはそこに立ち返ります。

みなさん「村八分(むらはちぶ)」という言葉をご存知でしょうか?調べるとこんな意味になっています。

 江戸時代以降、村落で行われた私的制裁。村のおきてに従わない者に対し、村民全体が申し合わせて、その家と絶交すること。「はちぶ」については、火事と葬式の二つを例外とするところからとも、また「はずす」「はねのける」などと同義の語からともいう。

仲間はずれにすること。

引用:goo国語辞典 https://dictionary.goo.ne.jp/

これ、現代に合うように現代人が分かるように私が意訳してみますね。

世間一般から見れば場違いなくらいのローカルルールを適用して数の暴力という名の正義で多数派が少数派をつぶすこと。

村八分の説明に「村落(そんらく)」とありますが、要は都会から離れた、相対的に見て人口や家屋が少ない地域のことです。昔の推理小説なんかに多く出てきますが、その村の人間だけに適用するルールで村民を縛りつけ、それを破った者には村全体で「なに勝手なことしてんだ?」とネチネチと疎外していくわけです。

これは大人数が住むような都会ではありえません。多種多様な生活スタイル、人間、物が存在するところでこんなことをしたって誰も従いません。「は?なんでお前のワケワカラン言いぶんに付き合わなくちゃなんないの?」となります。むしろそれで当たり前です。都会の喧騒から隔離するようにひっそりと少人数で長い間ずっと暮らしているからこそ成り立つルールだと言えます。周りには知っている顔ばかりで、知らない人などいないというくらいの。

これは果たして差別と呼ぶものなのか?

selective color photography of person portraying of being fragile

このような歴史や風習は今でこそ減ってきてはいるものの、なくなってはいないのです。前述したような世間一般から見ればおかしいとすら感じる風習、「え?そんなことがまかりとおってるの?」というような場所を最近のコロナのニュースでも見かけませんでしたか?これが残念ながら認めざるを得ない日本の歴史や風習です。

しかし、これは本当に差別と呼ぶにふさわしい事象なのでしょうか?人種や宗教といった個人ではどうすることもできない部分で悲しい紛争まで起きている地域もある中で、この日本の村八分の体質は「差別」と呼ぶにふさわしいと感じますか?辞典にあった「私的制裁」。私の意訳の「数の暴力という名の正義」。

よく考えてください。不条理ともいえるローカルルールで通常受けるはずもない苦しみや痛みをよってたかって大勢で味わわせる。

これ、ただのいじめではありませんか?

差別なんて言葉など使っていいはずもない、もっと程度の低いただの「いじめ」ではありませんか?

ネットでの「誹謗中傷」という言葉もよく聞くようになりましたが、例えば夜の繁華街に出歩く人と医療に従事している人。どちらもコロナウイルスを持っているかもしれないし、周りに広げてしまうかもしれない。

ですが、自ら好んで感染しやすい場所におもむく人と、仕事としてコロナに苦しむ人を救うことを生業としている人を同じカテゴリにひっくるめて節度も忘れて下品に非難するのは違うと思います。

ネットという仮想空間でリアルで会わないからこそ、名前も顔も明かしていないからこその状況に気を大きくした一部の村落の人間が、本人たちも無意識の中で数の暴力という名の正義を振りかざし「誹謗中傷」の域を超えた「いじめ」をおこなっていく。

こんなものはもう「差別」なんていう呼び方をするにはあまりにもお粗末な「いじめ」以外のなにものでもないと私は思うのです。

差別という名のいじめをなくすためには

green plant

これをなくしていくのには、日本の村八分気質をどうにかするしかありません。つまり大勢でなければ誹謗中傷すらできないようなもろい精神をまず立て直す必要があります。

誰かの発言をきっかけに何かを主張し始めるのではなく、周りの出方を見ながらネチネチと始めるのでもなく、本人が本人の意志で揺るぎない精神で勇気をもって発言し始めることです。

自分が正しいと思う主張なら、味方がいなくなったから下がるというのではなく、1対1になっても気持ちをぶらさずに発言するということができるのであれば、それが仮に周りからは「誹謗中傷」だと言われても相手には届くことでしょう。自分が顔と顔を向き合わせて自信をもって主張できるだけのものを持っているということの証明なのですから。

まとめ

日本人にある根底の気質が理解できるのであれば、それに対しての改善も進めていけるはずです。沈没船ジョークというものがあって、「沈没する船から全員を海に飛び込ませるにはどうしたらよいか?」という質問に対しての答えがそのままその国の国民性を表しているという興味深いものです。

例えばアメリカ人が乗っている船なら「飛び込めばヒーローになれる」とあおれば飛び込み、イタリア人が乗っている船なら「飛び込んだらモテる」とあおれば飛び込むといった感じです。では乗客が日本人ならどうあおれば飛び込むのでしょうか?答えは「見てみなさい。みんな飛び込んでいる」です。

・・・お分かりですね?周りの目を気にしながら動くのではなく、周りに同調するのでもなく、自分の意志で動く。決断する。ほんの少しずつでも日本をいい方向に変えていければと思います。ここまで読んでくれたかた、本当にありがとうございました。

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