コブクロさんの新曲で「両忘」って曲があるんだけど、「両忘」ってどういう意味だろう?
またこの曲の聴きどころや購入方法も知りたいな。
こんな疑問にお答えしていきます。
作詞はメンバーの小渕健太郎さんが担当されていますが、この現代にこそ必要なタイムリーなタイトルの曲でもあると思います。
そんなわけで、「両忘」というひとつのワードから、その意味と私たちが気をつけるべき点を解説していきます。
「はやく楽曲購入に移りたい」という人は、もくじの『楽曲「両忘」を聴くには』からジャンプしてみてください。
コンテンツ
両忘とは
「両忘」は、「りょうぼう」と読み、仏教の禅の言葉です。
意味合いとしては「白か黒かというこだわりを捨てましょう」という感じ。
また、「禅」は「仏の心」のこと。「心が動揺することのない状態」。悟りを開く境地ですね。
つまり、物事に動じない心を持つ仏の神の境地に近づくための修業が「禅」であり、「両忘」は修行のひとつと考えることができます。
両忘の精神=多様性の容認
・・・という感じで見出しに書いてしまいましたが、「なんのこっちゃ?」という人もいると思うので、ポイントを挙げながら解説していきます。
両忘の精神のポイント
- 両極の考えを捨てる
- ゼロから物を考える
- こだわりを捨てる
両極の考えを捨てる
両極の考えとは「勝負」「正誤」「白黒」「自他」など、どちらかにかたよった考え方。
なぜその考え方を捨てるのかと言うと、「個人の主観」が入ってしまうのを防ぐため。
仮に客観的に物事をとらえるのが得意な人であっても、その判断基準と言うのはその人の育ってきた環境や元々の考え方がベースにあります。
つまり、どうしても「その人個人の価値観」が入ってしまいがちになるものなのです。
例えば刑事裁判では、検察側と弁護側に分かれて「それぞれの正義」を主張し、証拠を提示して、「自分たちは正しい」ということを証明しようとします。
裁判は「どちらが正しいのか」という判断を下すためにあるので当然のこと。
しかし、「相手の落ち度やミスばかりをそろえて相手をおとしめて」「自分たちが正しいことを証明する」のはどうでしょうか?
これは「自分たちは正しい」という前提があっての行為であり、「真実はどうなのか?」という本質からは大きく離れます。
裁判でなくとも、人と人との議論も同じことです。
ただただ「自分は正しい」ということを前提に話を進めるだけでは、お互いに平行線をたどるばかり。
「真実はどうなのか?」という点から目をそむけてしまえば、永遠に終わることはない議論です。
だからまず、「正しいのか正しくないのか」を追うよりも先に「真実はどうなのか?」を追うことが重要。
そこさえ明らかになってくれば、どちらが正しいのかは自然と分かってくるのですから。
正誤に関する議論についての関連記事も合わせてどうぞ。
→論破はダサいし損をするからやめたほうがいい【時代に合わない】
ゼロから物を考える
では、両極の考えを捨てるとしたら何を基軸にして考えていけばいいのか。
個人個人の基準と言うのはまったく同じということはありえないのだから、自分の中の基準や価値観をリセットして、「ゼロ」から考えることです。
「両」極を「忘」れて、基準なしのゼロから考えていくというのが「両忘」の精神なんですね。
つまりは、「個人的な損得勘定・見栄・欲望・偏見」一切なしのフラットな状態で考える。
これすなわち、「真実はどうなのか?」を追い求めることにつながります。
こだわりを捨てる
個人の主観や判断基準を捨てて両極の考えをやめ、自分の中の価値観をフラットにして真実のみを追い求める。
これは結局「自分の中のこだわりを捨てる」ことにつながっていきます。
もちろん、自己肯定感や自我を満足させるためにはこだわりが必要な場面もあります。
しかし、それがただの自己満足や意地やプライドを考えた身勝手なものだとすれば、両忘の精神には届きません。
また、自分の中のこだわりはその人を支える軸になり個性を生み出します。
でも、周りの人に押しつけるような強引なものであれば、他の人からは「頑固」としかとらえられません。
周りの人に押しつけるこだわりは主観や価値観の押しつけであり、両極の考えに近づいてしまいます。
「なんで俺の言うことが分からないんだ!」「あなたの言ってることはおかしい!」と他の人まで自分の中の基準で見るのは避けるべきですよね。
それどころか、あとに引けなくなって強がって変えられなくなった自分自身をさらにしばりつけ、身動きをさせなくする。
本来の自分自身からも遠い考えになってしまいます。
だから、こだわりを捨てる。
自分の中のこだわりを捨てて他の人の考えを知り認めてあげることは、現代社会において必須となってきつつある「多様性」の容認にも通じます。
【多様性について詳しく知りたいという人はこちらの記事もどうぞ。】
自分とまったく同じ人間なんて存在しない。
ですから、白黒をつけて振り分けるのではなく、「みんな違って当たり前」ということを忘れずに、自分の知らない世界を広げて認めてあげる。
こだわりを捨てれば、両極から離れ、真実に近づけるんですね。
楽曲「両忘」のポイント
ここからはコブクロの楽曲について解説していきます。
コブクロの楽曲「両忘」については、Youtubeのコブクロ公式アカウントにてMVが公開されています。
真っ白な衣装と真っ黒な衣装の対比。いくつもの鏡で張り巡らされた中のいくつものおふたりの姿。
表情も重苦しいものではありません。
「いろんなその人がいて、ひとつの顔じゃない。いろんな顔がある。
一面だけを切り取ってそうだと決めつけてしまうことこそ、主観で物事を見ている証拠であり、両忘の精神に反する。」
そんなふうに感じられるものになっています。
ここまでの両忘についての解説同様、歌詞の内容自体はコブクロの得意な恋愛ものではなく、人生観を語るもの。
となると、曲調も重い感じになるのかと思いきや、楽曲は「tOKi meki」のような、打ち込み主体のデジタル強めサウンドになっています。
テンポはミディアムより少し速め、曲調も暗いものではありません。
「両忘」の精神が重厚なのとは対照的に、テンポや曲調、歌詞の内容はまるでJ-POPのど真ん中のようなキャッチーな感じ。
なぜそのような矛盾とも言える描写をしているのか。
コブクロが公式サイトにて語っているこの楽曲への想いにヒントを見つけました。
「人生で過ちや間違い、後悔をしたとしても、誰かの声の中から自分が立ち上がる力を自分自身で見つけてほしい。」
ここからは私の推測ですが。
この曲は、「両忘」を聴いたすべての人を力強く後押しするメッセージソングである。とともに。
過ちや間違いをしてしまった彼ら自身に向けた励ましの言葉であり、かたよった考え方で面白おかしくバッシングする人への痛烈な皮肉を込めていると感じています。
「両忘」の精神を知っている人からすれば、パッと見、この曲が現代に則した「多様性」にスポットを当てているものかと思ってしまいがち。
私も最初はそう思っていました。
ところがスポットを彼ら自身に照らし合わせたとき、次のような裏メッセージがあるのだと読み取りました。
「その人の、とある一面だけを知り、世論や常識に流され鵜呑みにして白だ黒だと判断するのは危険である。
その人自身ですら知らないその人の一面もある。偏見や固定概念を捨てて接してみなければ、本当のその人は見えてこない。」
彼ら自身の現在の心境をも表している、非常に深みのある楽曲になっています。
楽曲「両忘」を聴くには
そんな魅力あふれる「両忘」を聴く方法は、大きく分けてふたつほどあります。
ひとつはCD購入、ひとつはサブスクで音楽配信を楽しむことです。
CD購入
従来どおり、CDで楽しみたいという人はECサイトにてCDを購入するのがいいですね。
下記リンクでお好きなサイトを利用して購入してみてください。
音楽配信
音楽配信で楽しみたい人は「Amazon Music Unlimited」がいいですよ。
最新作の楽曲までフォローされていて、7000万曲を聴けちゃいます。
もちろん「両忘」もチェックできます。
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Amazon Music Unlimitedで両忘をチェックするまとめ
現代社会の若い人ほどこだわりがなく、多様性に適した個性を持っていると考えられます。
こだわりがないと自分が楽なのがまたいいんですよね。
そんな悟りの境地を体感した・・・つもりでいるかむでした。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。